サムスン電子、ソニー1社分の時価総額失う-S4が期待外れ - Bloomberg
この一文の的確さがすごい。
(via tmiz)丁寧語とか、礼儀正しく書いてみる日記2:06/30 【除鮮】 893じゃない有田芳生センセイは『民主党』所属です!① (via s-hsmt)
ここまでの流れ
お前ら「なにこいつ、マジ死ねよ。マスコミは何沈黙してるんだよ!」
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フジテレビが取り上げる
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お前ら「フジGJ。他の局はなにやってんだよ!」
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小泉議員自殺
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お前ら「フジが自殺に追い込んだ!」←今ここ
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ところが私たちのよく知る時代劇では、江戸時代の侍は腰に刀を差していて、銃器の類はいっさい持っていません。これが明治維新まで続いたことで、日本がかつて鉄砲大国だったことはすっかり忘れられてしまいました。
1543年、種子島に漂着したポルトガル人の火縄銃と弾薬を領主が購入し、日本に鉄砲が伝来します。それから1年もたたないうちに種子島の刀鍛冶は鉄砲の自作に成功し、10年もすると日本じゅうの鍛冶が種子島銃を大量に製造するようになりました。当時は戦国時代の真っ只中で、新式の武器はつくればいくらでも売れたからですが、その背景には日本が鉄の産地だったことと、日本刀や鎧の製作できわめて高い冶金技術を持っていたことがあります。
すくなくとも陸戦においては、16世紀の日本はヨーロッパを圧倒する最強の軍事国家でした。長篠の合戦から12年後、フランスでアンリ4世が銃火器を使って“歴史的”な勝利を収めますが、その時の鉄砲隊の人数はわずか300人だったのです。
ところが秀吉の死で朝鮮出兵が終わると、徳川幕府は鎖国と同時に鉄砲の製造を事実上禁止してしまいます。天下を平定した後では過剰な武器は不要だったからですが、鉄砲が忌避されたほんとうの理由は、武士を頂点とする身分制を崩壊させかねなかったからでしょう。
当時の武士は、合戦で名乗りをあげ、1対1で真剣勝負をすることに自らと家門の名誉を賭けていました。しかし鉄砲があれば、町民や農民でも後ろから武士を撃ち殺すことができます。鉄砲を捨てることは、“武士道”を守るための絶対条件だったのです。
”人類史上、日本人だけがなしとげたスゴいこと 週刊プレイボーイ連載(104) | 橘玲 公式サイト (via mayumiura)